KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

おやじ涅槃で待つ

 「涅槃」とは仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のことをいう。昭和58年、「おやじ涅槃で待つ」という遺書を残して自死をとげた俳優さんがいた。その名を沖雅也さんという。31歳という若さであった。

 

  沖雅也さんというと冷徹とも思えるようなクールな印象があった。ドラマ「太陽にほえろ」のオープニングでは暑苦しいもみあげをつけた顔で走り回るボン(宮内淳)とビシッとポーズを決める沖さん演じるスコッチが代わる代わるに出てきて、その対比の妙が味わい深かったのをいまでも覚えている。

 

 なんでいま、そのようなことを思い出したのかというと、いつものようにタブレット純さんのラジオ「タブレット純 音楽の黄金時代」を聴いていたからだ。今週の特集は”俳優、女優の歌”であった。そう、沖さんもレコードを出していたのだ。

 


沖雅也 君と二人で

 

 衝撃の歌唱力。あのクールな沖さんがというかんじである。でもなにか中毒性があってくせになりそうな歌声でもある。レコードジャケットの沖さんの瞳がまたキュートで素敵だ。

 

 沖さんを支えた”おやじ”こと養父の日景忠男さんも2年ほど前にお亡くなりになったそうだ。沖さんもずいぶん長く待たされてしまったが、ふたりはまた出会えたのだろうか。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。

 

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