KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

昭和の終わりを告げた日

 昭和64年1月7日。朝8時になろうとしていたころ。まだ冬休みということもあって、この日の朝は目覚まし時計もかけずに熟睡していた。母親が声をかけてくる。

 




天皇陛下が死ぬよ」みたいなことを言っていた。すぐに目が覚めた。そしてテレビの画面を観るとNHKが映っている。チャイムとともに黒い画面で天皇陛下崩御の文字が流れてきた。


 それまで毎日、テレビや新聞で昭和天皇のご容体の情報は目にしていた。井上陽水セフィーロという車のCMで言っていた「みなさんお元気ですか?」という言葉。それが不謹慎だということで消されてしまったということもあった。そんなピリピリした空気が終わりを告げたのだった。

 それから3日間、テレビは昭和天皇の生きてきた歴史を特集した特別プログラムを流し続けていた。当時はそれをダラダラと眺めていたのだが、いまとなってはなんでビデオに記録しておかなかったのか悔やまれる。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。