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昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

ボブ・デュランがタキシードなんて着たらそれこそ世紀末







ノーベル文学賞の選考主体であるスウェーデン・アカデミーの18人のメンバーのひとり、ペール・ウェストベリさんは21日にスウェーデン公共放送SVTのインタビューに答えました。そこでボブ・ディランさんの沈黙について「無礼かつ傲慢だ」と厳しく非難。
ウェストベリさんは「この事態は予測しなかった」と困惑気味で、「ノーベル賞を欲しくないのだろう。自分はもっと大物だと思っているのかもしれない。あるいは反抗的なイメージのままでいたいのかもしれない」と発言しています。

http://news.livedoor.com/article/detail/12181890/
 わかってないな。大物とか小物とか、そんななにかと比べる相対評価ではかれるような存在じゃないだろうが。ボブ・デュランというヒトは。ノーベル賞をもらったからエライとか、逆にもらわなかったらエライとか、そんなこと考えるヒトでもないだろう。

 この事態は予測しなかった?予測しろよ。授賞式はタキシードを着なくてはいけないのだろう。タキシードを着たデュランなんて想像できるか?できるし着て授賞式にも出なきゃいけないのだと思っているのなら、あんたこそ”無礼かつ傲慢”ってハナシだ。控えろ。

 誰かに選ばれて、あなたはエライから金と名誉をあげるなどといわれて喜ぶようなヒトではないというのは、カレの歌を知るヒトなら誰でも想像がつきそうなものだが、このウェストペリさんというヒトはカレの歌を本当に聴いていたのだろうか。実はウケねらいで誰かがデュランにあげようと言ったら、みんな盛りあがって決まったとか?

 まさかね。さあはたしてデュランはタキシードを着て授賞式に出席するだろうか。僕にはだいたい想像がつく。カレは”風”なのである。風は誰にも掴むことができないのであった。なんちゃってな。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。