KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

子どものことを考えるなら今は着実な道にすすめよ【長谷川豊の選挙出馬について】

 このブログをごらんの方は、長谷川豊というフジテレビの元・アナウンサーをご存じだろうか。去年自身のブログにおいて、人工透析患者は自業自得なのだから全員実費負担させろ、無理だと泣くなら殺せという題と内容の記事を書いて問題になったヒトである。

  そのような題にして書いてしまったら、”いかなる事情があれど対象は人工透析患者全員”になってしまうはずである。しかしカレは、のちに題名を変えて、全員じゃないだとか、不摂生で人工透析になった態度の悪い生活保護受給者について言ったと内容調整していった。

 本人にしてみたら、ブログのアクセス数を稼ぐのに、過激なアプローチでヒトの目を引こうと考えたのかもしれない。それがのちに、圧力団体や一般大衆の不興を買うことになる。

 長谷川も自身の発言に関する不謹慎の定義を広げてしまう恐れのある言葉狩りにたいして、抵抗があったに違いない。だからまずツッぱねた。こっちはテレビのレギュラー8本持っているとまで豪語した。

 するとネットにただよう見えない力が働き、レギュラー番組を全部降板させようという動きになった。もうこうなると多勢に無勢である。またたく間に長谷川のテレビの仕事は失われていった。

 こうなってくると、たしかに問題発言だったかもしれないが、時間が多少かかっても復活させてあげるべきだとなるだろう。長谷川にだって家族がいる。家族が路頭に迷うまでになるのがこの騒動の代償だとはおもえない。

 じゃあ長谷川はどうするべきだったのか。とりあえずは地道にイベントの司会など営業で回って、糊口をしのぐべきではなかったか。それを長谷川のなかにある自己顕示欲みたいなものが許さなかったのだろうか。選挙に出るという。


(会見動画は14分あたりから)

 いまそうやって政治色みたいなものに染まるのか。選挙に落ちたらどうする。こんどこそ地道にドサまわりをするなどとなっても、政治色のついたニンゲンなんてそうそう営業には使えない。

 しかも出るところが日本維新の会という組織力のないところである。選挙資金なんておそらく自腹であろう。ボランティアスタッフを集めるのにも事欠くのではないか。それで選挙に落ちたらあと自己責任となってくる。

 いまからでも遅くはない。長谷川は出馬をとりやめるべきだ。家族がいるニンゲンだとおもうとそういう老婆心がつい出てくるのであった。失敗したら笑えない。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。