KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

恋・はじめまして

 100円ショップのダイソーに買い物に行くと、むかし懐かしいお菓子によく出会う。明治のサイコロキャラメルはその代表格。あとハウスのプリンミクスなんかもよくみかける。

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 きょうもまた懐かしいお菓子をみつけた。セシルチョコレートだ。てっきりもう販売していないものだとおもっていたのに。字体はおしゃれになったかんじだけれども、花をあしらった銀紙の包みは、むかしのまんまだ。

 セシルチョコレートは昭和49年に発売された。アーモンドチョコレートのアーモンド抜きと説明すればいいだろうか。ちなみにアーモンドチョコレートのほうが大先輩で昭和33年発売である。

 昭和50年代から60年代にかけて、テレビコマーシャルもよく流れていた。そしてときのアイドルが出ていた。百恵ちゃんや堀ちえみ南野陽子などなど。みんなそれぞれ個性があってよかったが、やはりあのひとを思い出してしまう。



 そうなのだ。岡田有希子さんもセシルチョコレートのテレビコマーシャルに出ていて、よくおぼえている。やはり輝きをはなっていたときに、若くして亡くなったひととに対しては、どうしても当時の思い出に補正がかかって印象も強くなる。

 歌詞のなかにある「恋したら誰だってきれいになりたい」というコトバが、いまおもえば心にグッとくる。少女から大人になる過程の、こころの揺れ方みたいなところがやはり。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。