KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

プリンセス駅伝・飯田怜選手の行為は美談か

  駅伝競走というのは、ニューイヤー駅伝箱根駅伝など正月三が日からやっているほど、おなじみの競技であるが、日本発祥でしかも日本でしか行われていない。いかにもルール内容が日本らしい。

 

全日本実業団対抗女子駅伝予選会で、岩谷産業の第2区・飯田怜(19)が残り約200メートルで走ることができなくなり、両膝を付き、四つんばいになって第2中継所の勝浦浜を目指すアクシデントがあった。
第3区の今田麻里絵は目に涙を浮かべながら、飯田が必死につなげようとしているタスキを待った。飯田は膝をすりむきながら進み、なんとか今田にタスキをつないだ。

 

 多くのヒトが、岩谷産業の飯田怜選手を棄権させなかったことについて問題視しているが、実際には棄権させる権限をもつ監督は止めようとしていたらしい。ただ伝達が遅くなってしまい、ああいった事態となったということである。

 

 足を骨折してしまい、あのような四つんばいの姿勢でのタスキリレーとなったようだ。一説によると、レースの途中で後続の選手と接触し、転倒してしまったのだとか。直接の原因かはわからないけれども。

 

 青山学院大学駅伝部の原晋監督は、「私だったら止める」といっていたが、立場上そりゃそう言うであろう。ただ傍観者としては、あのまま四つんばいで中継地点までいったのは、美談ではないけれども、気持ちはわかるような気がするのだ。

 

 駅伝というのは、チームプレーである。自分が棄権するようなことがあれば、チームとしての成績は消滅する。他のメンバーたちが走ることができなくなる。せめてあとの個人成績だけでもと思って這っていくのが人情というものではないか。

 

 それをくみ取ってあげるのも、また人情。ちなみにそばに付き添っていた審判員は、残り20メートルのところで棄権の報を聞いたそうだが、そのままにしておいたということだ。決まりに則れば止めなきゃいけないが、そこもまた人情なのだ。

 

 もちろん選手に万が一のことがあって、選手生命に影響したらどうするのだというのもわかるのだけれども、そこがマラソンみたいな個人競技とはちがう、駅伝という団体競技の恐ろしさなみたいなものなのだろう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。