KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、ホラン千秋

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 横浜は雲一つない秋晴れ。空気は温度が下がると、水分を蓄える量が少なくなる。空気が乾くと澄んで透明度が高くなる。ヒトビトの目に映る富士山こそは、日本における最高峰の芸術だ。

 

 

 10月10日は体育の日で、なぜこの日が祭日となったのかというと、1964年に開かれた東京オリンピックの開会式の日であったからというのは、多くのヒトが知っていることである。

 

 スポーツの秋というだけあって、選手にとってはベストを尽くせる、理想的な気候といえる。また秋は別れの季節ともいう。1964年の東京オリンピックの閉会式は、選手たちが国籍や人種、民族の違いをこえて、みんなで肩を組んで入場した。

 

 

 ヒトにはこんな素敵な別れ方もある。それを演出したのも、日本の秋の夜と、あともう少しで消されようとする国立競技場の聖火台の火である。時が経ってどんなに閉会式がエンターテイメント化しようと、主役は自然のおりなす象形なのだ。

 

 それがオリンピックは夏にやるのが”当たり前”のようになった。都知事はさも”当たり前”のような顔で、暑かったら工夫すればいいじゃないといい、ぬれタオルを首に巻く。ヒトの工夫で自然現象がなんとかなるなら苦労はいらない。

 

 もはやなにをいっても、おえらいさんの意識は戻らないのだろう。やり終わって1964年の時にあった事実と照らし合わせて、やっとみんなで振り返り、夏に日本でオリンピックをやるということに、違和感を感じるのであろう。

 

 そうはいってもやはり、世界から集まってくれたヒトビトに、この秋空の下の美しい富士山をみせてあげたいなあとつくづくおもう。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。