KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

沢田研二と盛者必衰

 ここ連日、このブログのアクセス数が急にあがった。なぜだろうと思ったら、どうやら過去にアップした記事が原因であると判明した。 

なるほど。ここ連日ライブ中止の件で騒がれているものなあ、ジュリーったら。 

 

何より、観客動員が少ない状態でのライブをキャンセルするということについて、申し訳ないが本人はひ弱だと感じた次第だ。芸能の人であって、ロックの人ではない(時代背景からして当然なのだけど)。

甘やかされて育ってきたようにしか見えない。 人数が少なくとも、最高のパフォーマンスをするのが、ロックである。そして、ガラガラの会場であれ、大暴れするのがファン道である。

沢田研二はロックじゃない 庶民の老後の楽しみを奪ったジュリーは罪深い 

 

沢田研二が哀れだ。
全盛期の美しさ、カッコよさを知ってるだけに、老いの残酷さを見せつけられる。

空席が目立ったと言っても7000人も集めたのなら十分だと思うが、全盛期の自分と比較すると惨めに思えたのか?

ジュリーの美学のアンバランスさ

 

 

 各方面からさんざんな言われようである。しかしこれもいたしかたない。それだけジュリーというヒトは過去もすごかったし、いまはいまでそのすごさを引きずって芸能界にいるのだから。

 

 まあ百田尚樹のは蛇足だけれども、どんなに歳をとったって、こうして反論してくれるファンがいるというハナシだ。いまどきこの百田のツイートのような”らしい伝聞”に対して、本気で真っ向から文句言うヒトはそうそういない。

 

 もうジュリーは、このようなファンのためにもっと距離の近いステージをやるべきなのだ。デカい花火を打ち上げようという歳でもないだろう。それがいい歳の取り方というものだ。

 

 またいまの容姿についてもいろいろと言われているが、みんな過去のジュリーに縛られすぎなのである。過去があまりにも美しかった。そういうヒトほど、加齢による衰えが表に出やすい。

 

 岸部一徳さんをみてほしい。加齢による衰えなどわからないではないか。というかこの2人が昔おなじバンドにいたことを知っているヒトがいまどきどれだけいるのかというハナシではあるが。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。