KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

笑点の終わり

 笑点。それは昭和41年にはじまった長寿番組であり、現在でも高い視聴率を記録しつづけている。

 

 私が最初にリアルタイムで観た笑点の記憶。それは三波伸介が司会をし、大喜利のコーナーで左端の桂歌丸師匠と右端の三遊亭小円遊師匠が互いにネタでののしり合うというものであった。

 

 それからほどなくして三遊亭楽太郎(元・六代目円楽)師匠が登場し、自身が当時似ていたマラソンの瀬古を絡めた回答をしていた。そして若くして小円遊師匠が急逝し、つづいて三波伸介さんも亡くなる。

 

 そのような時の流れにあっても毎度、林家木久蔵(現・木久扇)師匠は「いやんばかん」とクネクネしながら歌い、木久蔵ラーメンがマズいといわれては、うなだれていた。そして場の空気を引き裂くような、林家こん平師匠の「ちゃんらーん!」

 

 そこから何十年もの間、まったく笑点を観なくなった時期というのが何回もあったけれども、久しぶりに観たら観たで、ほとんどその空気みたいなものは変わっていなかった。

 

 しかし歌丸師匠が亡くなったのがひとつの節目だった気がする。それまでにもこん平師匠が病に斃れ、つい先日も円楽師匠がやはり病で休演していたが。時が流れ過ぎてしまったのだ。

 

 それでもいま現在においても、木久扇師匠は”いやんばかん”と腰をクネクネさせている。これだけは変わらない。いつか”いやんばかん”が聞けなくなったとき、それが笑点の終わり。そんな気がするのだった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。