元朝日放送(大阪市福島区)のアナウンサー・安部憲幸(あべ・のりゆき)さんが6日、胃がんのため死去した。71歳。島根県出身。
10日、同局のラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」(月~金曜前6・30)で発表された。
昭和が終わろうとした昭和63年。プロ野球はセリーグが中日、パリーグは西武が優勝し、日本シリーズは西武が制した。そしてこの年はなんといっても、南海ホークスがダイエー、阪急ブレーブスがオリックスに譲渡された年でもあった。
この時代の西武ライオンズは、もはやパリーグでは敵はいない。まさに黄金時代で、リーグ4連覇をはたした。だがこの年はちょっと違った。近鉄バッファローズが、最終戦まで食い下がったのであった。
まだこの時代は、東京ドームもまだできたばかりのころ。雨で試合が中止になることもしばしばで、試合があまりにも残っていると、ダブルヘッダーといって、1日2試合をやって、試合を消化することがたびたびあった。
そんな時代だったからこそ、この伝説の試合が生まれた。そしてその試合が急きょテレビ朝日で放送され、川崎球場で実況したのが、安部憲幸アナウンサーだった。訃報を知ったとき、かたずをのんで見守ったあの光景がまた蘇った。
あれからもう27年も経ったのだ。近鉄バッファローズも、川崎球場もなくなってしまった。いまやドーム球場も増え、リーグ2位と3位のチームにも日本シリーズ進出の可能性がある、クライマックスシリーズという制度ができた。
そして復活のチャンスができたことで、最後の方までリーグは盛り上がり、消化試合という言葉もほとんど聞かれなくなった。それらすべてが重なることで、”伝説”が生まれにくい時代になったといえるかもしれない。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。