KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

スター誕生でスターになれずに【徳永英明】

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 先日とある歌番組を観ていたら徳永英明が出て話していたのだが、もし25歳になるまでにデビューできなかったら、夢をあきらめて勤め人になるという約束を親としていたそうだ。そしてカレは24歳10か月というギリギリセーフのタイミングで幸運をつかんだ。

  そのデビューの約5年前に上京してきたのだが、まずカレはとあるオーデション番組に応募した。それが日本テレビの「スター誕生(昭和46~58年)」であった。日曜日の朝11時に放送していたこの番組では、数々のスターが誕生した。

 徳永が出演したのは番組末期であった。それより前にレギュラー審査員でもあり、番組制作に大きな権限を持っていた作詞家の阿久悠が、男性アイドルは必要ない、女性アイドルだけを育てるみたいなことを言い出した。

 次第に番組は露骨なまでに、女性の候補者ばかりが決戦大会に残るようになった。そういう流れの間隙をぬって、ジャニーズ事務所が台頭する。そして数々の男性アイドルを生み出し、いつのまにか専売特許をえるようになった。
 


 そのような時代であったからこそ、どこの会社からもお声がかからなかったとはいえ、決戦大会に出られただけでもすごかったのだ。まあまだこのころは片鱗はみえども、緊張からか本来の力を出しきれていないかんじであったが。

 またもしこのときに、どこかの会社に声をかけられたとしてもどうだったか。ヒトの作った歌を歌わされて、埋没していったかもしれない。結局カレはその5年後に自分で作曲した歌でデビューしたわけだ。

 本人にとっては苦く、そして少し恥ずかしい思い出だったかもしれないが、観ているほうにとっては、かえって人間らしさが垣間見えて、いい感じがしないか。とにかくデビューしたくて必死だったのだなと。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。