『歓声で演奏が聞こえなかった』とあるけど、それは違う。俺たちビートルズ少年少女は、全曲知ってたから冒頭でジャーンとギターを弾かれれば一緒に歌えた。北西3階の上からでも。(仲井戸麗市)
【1966年6月29日】 ザ・ビートルズ来日 厳戒態勢の3日間
今年でちょうどビートルズが来日公演してから50年。リアルタイムで観たわけではない。ただなんとなくだけど、このチャボの言葉は当時のビートルズをとりまく雰囲気を表しているような気がするのだ。
日本武道館で初めてのロックコンサートをやるという試み。これにたいして当時大物の中の大物の大人だった正力松太郎が異議をとなえ、開催が危ぶまれて、その子分みたいな右翼たちがコンサートの中止を求める街宣をしはじめて。
当時の子どもたち。チャボもふくめていわゆる団塊の世代ってヤツだ。彼ら彼女らはこの東京だけで行われるコンサートの周りを囲んで、全国からその空気だけでも感じようとやってきて、期間中に6500人補導されたのだ。
もちろん”当時の若者たち”の中には取り残されたヒトもいただろう。家庭の事情で経済的に余裕がないヒト、住んでいるところの事情により情報が入ってこなくてビートルズは知っているんだけどってヒトもいただろう。
そう考えてみると、熱量っていろいろな事情によって違う。ただ入れなくてもビートルズのコンサート会場に行ったヒトの熱量はすさまじい。おかげでそれがあたかも当時の若者のすべてみたいにしてしまったのがすごい。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。