タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

”戦争を知らない子供たち”にとっての戦争

 先日、NHKラジオ深夜便を聴いていたら、ノンフィクション作家の澤地久枝さんが出演していた。御年86歳ということだったが、声だけを聴くと若々しい。そんな澤地さんが、戦争の体験談を話していた。食がテーマであったので、食べ物の話が中心だったが。

 澤地さんは戦時中、満州の女学校に通われていたそう。いいところのお嬢さんなので、比較的食生活は豊かだったようだが、それでも終戦のころは大変だったらしい。それこそ日本に戻るのが精いっぱいで、ソ連の軍人に襲われそうになったなんてこともあったとか。

 日本に帰ってきて、おにぎりを1個もらったのだが、その味が忘れられなかったと。そりゃそうであろう。想像を絶する体験である。その後、澤地さんは反戦のための活動をしてきて現在にいたるわけだが、このような戦争体験談を話せるヒトは本当に少なくなった。戦争体験談を話せるヒトが少なくなったのは、いま平和な証拠でもあるが。

 また今の日本で戦争体験談を話せるヒトというのは、敗戦の記憶である。反戦というものを語る上で、敗戦のことだけを語って、戦争はやってはいけないと訴えるのは、現代において有効なのだろうか。そんなことをときどき考えるのである。

 現代日本の”戦争も辞さずな勇ましいヒト”というのは、第二次世界大戦のときのような敗戦については想定していないからだ。つまりは日本一国だけが残って、他の大国と本土で戦うなんてことはないと考えている。アメリカを中心とした多くの国について、敵国に攻め入ることしか想定にない。

 そんなヒトたちに、澤地さんのような敗戦のときの悲しい記憶を語っても、きっと響くものはないであろう。そこが今の反戦運動の限界のような気がする。新しい反戦のためのアプローチが、戦争体験を話せるヒトが少なくなってきたいま、必要なのであろう。そんなことをラジオを聴きながら考えていた。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。