いまはチョークの消費量がだいぶ減っているのだという。さいきん小学生というのを経験したことがないので、実際にはわからないのだが、黒板を使わなくなったから、チョークの消費量もそれに比例して使われなくなったのだ。
以上、あたりまえのことを書いてみた。そんなのみんな予想がつくだろうてということをまわりくどく。でもそのむかしはたくさん黒板に書かなきゃいけない事情があったのだろう。
高校生のころまで先生はふつうにガリ版というのを使っていた。カーボンみたいなのに先のとがった棒をつかって手書きでガリガリ書いていた。それをわら半紙というのに印刷していた。あれは非常に手間がかかるし、間違えたらやり直しだ。
おそらくそんなもの、いまは使っていないであろう。パソコンでピコピコうってプリントアウトすりゃいいのだから。そうなってくると、黒板に書いていたようなことも、ピコピコうってプリントアウトしてしまうのだろう。手間がかからないもの。
高校のころの担任は、筆圧が強く書くのも早い先生だった。チョークがポキポキ折れるのにもかまわずきれいとはいえない字でまたたく間に書いていた。国語教師のくせに。国語教師でていねいに書かないとはどういうことだまったく。
こっちは書くのが遅いニンゲンだったから追いつくのに精いっぱいで、ハナシに耳をかたむける余裕もなかった。そういう先生にあたると、ノートも必然ときたなくなるのであった。勉強ができる子というのは、それをまた自宅で清書するのだろうが。
それを考えると、黒板で書くようなことをプリントしてくれたらありがたい気はする。ただ家で勉強するには書いたほうがいい。学校で板書をスマホで撮ってもいいから、それを家で書く。
国家資格の勉強したときはそうだった。このポイントさえおぼえておけばOKという参考書を買って、京大式カードというものに書き写していた。ポイントを赤のボールペン、ポイントにいたるまでの文章を箇条書きしたのを青のボールペンで。
学生さんでこの記事を読んでいるヒトのなかには、非効率だとかムダとかおもうヒトもいるかもしれない。けどムダなことをやるのもまた学びなのだ。40も過ぎた汚いオッサンになると、そのムダなことをやっていた日が懐かしく思えてくるもの。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。