KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

試練の道をゆくが男のど根性【うさぎ跳び】

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 ウサギ跳び。中高生の時分には体育会系の部活ではふつうにやっていたが、いまでもまさかやっていたとは。あるときから関節や筋肉などを痛めるということで、いつからかやらなくなったとおもっていたのだが。

 

日本学生野球協会(東京)は14日、部員に長時間、ウサギ跳びをさせる体罰があったとして、鳥取県立八頭高(八頭町)の硬式野球部監督(3
8)を、3月24日から2年間の謹慎処分にしたと発表した。

3時間ウサギ跳び強要…野球部監督に謹慎2年 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  しかしあの阪急ブレーブスの大エースだった山田久志は言っていた。「うさぎ跳びで壊れる奴はプロ野球選手じゃない!」と。本人はうさぎ跳びも肉体の鍛錬としてありだと考えているのかもしれない。

 だがそれ以上にあの世代のスポーツ選手というのは、まず根性ありきという精神論が染みついているのではないだろうか。関節を痛めるだけあって、うさぎ跳びは苦しい。しかしその苦しみを乗り越えてこそ成長できるのだと思っているフシがある。

 日本のアマチュアスポーツ指導者も、まだまだそういうヒトが多くいるのであろう。肉体的痛みは精神力でカバーしろみたいな。野球や柔道など坊主を強要するスポーツなんて特にそういう傾向が強いとみた。

 もちろん練習中に水を飲むなんてもってのほか、みたいな。うさぎ跳びも、水を飲ませないのも、教育の一環なのだろうが、ならばそれでいまの高校生よりも心身が優れているのかといえば、そうともいえない。

 むしろ社会人になって、自分にも下の者にも社畜になることをヨシとする中心人物になっているのではないか。そのバックホーンに、”自分はうさぎ跳びにも運動中に水を飲まないことにも耐えてきた”という自負があるのではないだろうか。

 なんていったら怒られるか。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。