KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

なんだかんだ言っても”24時間テレビ”は越えられない現実

 今日、横浜の日産本社ビルの中を通ったら、”24時間テレビ 「愛は地球を救う」”のポスターが貼ってあった。そうか明日だったっけと再確認した。

  よくこの番組のことを偽善というヒトがいる。そういうヒトに聞きたいのは、ではいったい善とはなんなのかということだ。善に実体はない。実体がないというのに、どうして”偽”といえるのか。

 

 結局、真偽はともかくとして、募金額という形でしか判断はできないし、去年で言えば7億というお金を集めてそれを全部寄付したという結果をみれば、たいていのニンゲンに”偽善”という一言で評価する資格はない。

 

 また出演者にギャランティーを払っているという批判もあるが、これに関しても募金額から払っているのでなければなんの問題もない。製作費はスポンサー企業からの金で賄っているのだから。

 

 募金はそれに関わるニンゲンすべてボランティアにしたら、質は高かろうと量は集められない。そのようなことは、ちょっと考えればわかるようなものだが、はじめに批判ありきで思考停止しているから生産性のない話になる。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。