KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”バカ”は本当に大学に行く必要がないのか(プロローグ)

 さいきんブログやSNSなんかで”大学なんて行かなくていい”という意見が見受けられる。偏差値が低い大学に行ったって、いいところに就職できないから意味がない?はたしてそうだろうか。たとえばこのような意見がある。

  

  

この手の記事が欠けているところ

 こういったもっともらしい理由をつけたブログ記事が散見されるが、大学に行くデメリットは書かれているけれども、それを説得づけるための大学に行かないことによるメリットが書かれていない。

 

無料で得られる有効な情報など限られている

 ”情報なんてネットで検索すればいい”というヒトの意見も散見されるが、ほんとうに有効な情報をタダでネットに流すニンゲンなど、いないと考えるべき。即効性を求めネットに頼った先にあるもの。

 

 それはこのリンクを踏めば情報が得られますよと言われ踏んだら、言った相手にアフィリエイト収入が入り、言われた方は大した情報も得られずに、言ったニンゲンの踏み台にされる。まだこれなら時間は無駄にするけど、ふところは痛まない。

 

詐病して”情報”商材を売りつける男

 

 なかには情報そのものを商材にして売りつけるヤツもいる。末期がんになったので、残り少ない人生をかけてみなさんにお金もうけするやり方を教えますといって、中身のない高額な情報商材を売りつける。もちろんお金なんて儲かりやしない。

 

 するとこんどはなぜか末期がんが治って、また新たな情報商材を売りつけていたりする。ほんとうにこういう詐欺まがいなヤツが実在するのだ。ネット界隈に転がっている”お金をかせぐための情報”がいかにうさんくさいかわかってもらえるだろうか。

 

導入部分から話がズレまくっているが

 ようするに若いヒトがお金というものにとらわれ、情報という実体が定かでないものに踊らされることに危機感を感じているのである。これが高校生ならなおさらだ。大学うんぬんは実はおまけにすぎないのである。(つづく)

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。