KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

昔はガムって

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 平成に入ってからか。いつの間にかガムは粒状が主流になっていった。昭和には粒状のガムは無かったと記憶している。平成生まれのヒトで板ガムを食べたことがないヒトもけっこういるかもしれない。

 

 

 そしていまとなっては、シュガーレスが多数派となっているが、昔は砂糖まみれだった。ロッテが売っていた高級なチューインガムとはちがう30円のガムなんていうのもたくさんあった。

 

 そういうのは大抵、駄菓子屋さんにあったものだ。30円どころではない。10円のもあった。いまとなれば不健康そのものなのだが。”子どもにとっての高級ガム”スポロガムやビッグワンガムといったおまけつきのものもあった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

 

 フーセンガムもあまり見かけなくなった。あれを大きくふくらますのは、子どもにとって一種のステータスであった。大人になるとまったく役には立たないことだけれども、そんな将来のことなどどうでもよくて、いまどう自慢できるかが重要だったのだ。