あともう少しで平成が終わろうとしている。昭和が終わるときは、終わる終わると頭の中では思っていたが、実際に終わったときは社会全体がゆれていた。おもえば昭和から平成に変わる前後というのは、元号だけでなく、いろいろなものが変わった気がする。
YouTubeを観てみると、結構な数の昭和をふり返る動画がある。昭和から平成に変わったあたりによく放送されていたものだ。それらの中からピックアップして、昭和後期から平成初期までに起きた出来事を振り返りたい。
上海列車事故(昭和63年)0:00~
修学旅行で中国に行った高知の高校が巻き込まれた列車事故。被害に遭った生徒は、僕と同い年のヒトたちだった。当時はまだ修学旅行で海外に行くのは珍しいことで、補償の面などでも遺族のヒトは厳しい現実に直面したと聞く。
当時の中国というのは、実際の距離以上に”遠い国”というイメージがあった。事件当日から何日かは、NHKで夜半から朝まで事故車両の静止画にテロップで”新しい情報が入り次第ニュースをお伝えします”という映像を流していた。
幼なじみが言っていた「残された子たちは、卒業アルバムもらうの辛いだろうね」というコトバが、いまだに印象に残っている。
中野・富士見中学いじめ自殺事件(昭和61年)5:04~
このころはイジメそのものが問題にもなった時期でもあり、自殺したヒトは僕のひとつ上だった。テレビのニュースでも大々的に報じられた。けれどもテレビのニュースというのは、最初を伝えるだけで、結末は教えてくれない。
自殺はしてはいけないものだが、だからといって責められるものでもない。もし思いとどまって生き延びたとしても、傷を引きずって、あげくには孤独でヒトに迷惑をかける、それこそ”生き地獄”のような人生を送る可能性もある。
そう考えると”自殺して正解”の可能性もある。生きていればいいこともあるなどという無責任なことはいえない。いいこともそれはあるだろうが、それ以上の悪いことが、いいことを押しつぶす可能性だってあるのだから。
ただいえるのは、死んだらおしまいということだ。魂となろうが、無となろうが、どちらかはわからないが、どちらにしても”この世”に起こる事象については、死んでしまったらどうにもできないのだ。
東京地裁ではイジメといわれた行為が、裁判長に”単なるエピソードに過ぎない”と片づけられ、校長・教頭・教師・いじめの首謀者がみなイジメなんてなかったと証言され、最終的に遺族へ支払われた賠償金は、都・区・イジメの首謀者あわせて1150万である。
考えて苦悩して決死の思いでやった結果、多数派の社会が値踏みした命の値段がこれなのだ。これは一つの教訓である。とにかくヒトは死んでも、この世のニンゲンを祟ることはできない。そのようなものは空想話にすぎない。もう一度いうが、死んだら終わりだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。