私事だが働いている障害者施設で、黙々と紙をちぎるのが好きでそれを日課にしているヒトがいる。ちぎる紙は古新聞や古雑誌で、たいてい職員が持ち寄ったりしている。そしてある日なにげなくその風景を眺めていた。
するといまにもちぎられようとする紙面のある絵が目についた。そしてそれを手にとった。おめーなにすんだよといっているかのような彼女の視線を尻目に、その紙面の絵を凝視した。
みるとその雑誌は「ファミ通」というゲーム雑誌で、どうやらそのなかの読者投稿欄であるらしいのだが、なぜこのようなゲームとは関係ない内容の投稿があるのか。しかし他の投稿も独特で、いわばカオスといった内容になっていた。
ゲーム雑誌なんて子どもが読むものだと思っていたが、このセンスは子どものものではない。いまどきの若者でもないだろう。いまどきの若者であったなら、野球帽に”南海”なんて書かないであろうから。どうなっているのだ購読者層。
そもそもだ。この雑誌不況といわれる時代、いまだにファミ通というものが存在するなんて想像だにしなかった。そしてこんなところにも”知らない世界”があったのだ。あともう少しでゴミになろうかという一瞬のなかにも。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。