KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

開局【東京12チャンネルの話はまだつづく】

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 テレビ東京の前身、東京12チャンネルは、昭和39年の4月12日に開局された。当時は日本経済新聞社が経営参加しておらず、運営母体は、財団法人日本科学技術振興財団というところだった。

  当初は、科学技術教育番組60%、一般教養番組15%、教養・報道番組25%を放送するというのが、国からの開局の条件だった。あわせて100%ということは、つまり娯楽番組はいっさい放送できないということでもある。

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 これは開局当時の新聞広告で、”良識が求めて登場”などと書かれているが、良識でテレビ局が成功するほど甘くはなかった。そりゃあもちろんテレビを利用して勉強したいという有志あるヒトもいたかもしれない。

 でも言い方は悪いが、しょせんテレビは”バカと暇人が観るもの”なのである。国がはじめからテレビ局を、NHK総合テレビと教育テレビとNETみたいな教育番組専門局のみにしておけば別だが、このころすでにテレビは娯楽番組が中心だったのだから。

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 これは開局当時の東京12チャンネルの番組表だ。こんな裏で日本テレビが巨人戦のナイター中継しているようなときに、「未来をうたおう(働く青少年の集い)」なんて番組を観るヒトがいるかというのだ。

 そういうわけで、東京12チャンネルは、開局当初から赤字経営に陥ったのであった。あまりの経営難で、ひどいときには1日の放送時間が5時間半なんていう時代もあった。

 結局、東京12チャンネルは、娯楽番組も放送するようになっていった。そのような苦難のときを経て、いまではテレビ東京と名を変え、湾岸戦争が起きたときも、報道番組を放送する各局をしり目に、ムーミンを放送するような局へと変貌をとげたのであった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。

 

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