KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

レポートを書くときの参考文献の選び方【序章】

他の通信課程の大学のレポートはどうなっているのか知らないけれども、日大の場合は参考文献を活用し、それをレポートの巻末に記録する。参考文献が無いとけっこうイチャモンをつけてくるようだ。

  とはいっても、本って高い。読書は趣味としてはお金はかからないけれども、趣味以外のところで買うのは懐が痛むものだ。図書館へ行け。ごもっともだが、そんな北方謙三先生の青春人生相談における「ソープへ行け」じゃないのだから。

 社会人だと図書館に行くのもまた時間的に難しい場合もあるし。よしんば図書館に行けたとしても、分厚いハードカバーなんて借りた日には、持ち運びにも大変だ。社会人たるもの、ちょっとした時間にちょこっとチェックなんていうのもしたい。

 そういうときに便利なのが、新書本である。普通の本より小さいし、ソフトカバーだから片手でめくれる。ばたけんなんかは、やよい軒で定食を食べながら読む。なにをよく食べるかって?”たっぷり肉野菜炒め定食”だな。

 というわけで次回は、参考文献に使うための新書本選びについて書きたい。ちなみに冒頭の画像の本は梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」といって、ばたけんの机や寝床から手の届くところにいつも置いてある本である。クリックすると詳細が出るので、興味のある方はぜひ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。