KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

続・電子神の世紀【特集・未来予想図】

 たとえば電子頭脳は現世においてヒトの罪を裁くようになるのだろうか。弁護士や検事も必要がなくなって、過去の判例データを分析して、機械の裁判官が判決をくだすように。

  いろんなヒトが、人工頭脳があれば、ニンゲンの仕事なんてなくなっていくというが、そういうヒトに聞いてみたいのである。あなたのその予言って、つきつめればそういうことにもなるわけでしょうと。

 ニンゲンの罪を裁くということは、ニンゲンが不完全ゆえに、不完全とはニンゲンの考えることは公平ではありえないゆえに、だからこそニンゲンが裁くことに意義があるのではないだろうか。

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 いまいちど”電子神”のイラストをみて想うことがある。結局は電子頭脳がどれだけ高度になろうが、やることはサイコロをふるということなのだと。そこにはなんの意思もありはしない。

 そしておまけに、電線が切られてしまったら、電子頭脳は自分で復活することができない。そんな”神”は万能ではないなと。このイラストを描いたヒトは、なんらかの意思というかメッセージを残そうとしている。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。