KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

25年後の〇〇〇

 「25年後のサザエさん」いつごろの”25年後”かはわからない。とにかくカツオとワカメとタラちゃんが、タイムマシンに乗ってやってきた。磯野家の外観はまったく変わってはいない。 

 

 だが黒電話が置いてあった場所には、”最新鋭”のテレビ電話が。しかしむかしのヒトは思わなかったのだろうか。別に電話ぐらい相手の顔がみえなくても実は支障ないのではないかと。

 

 現に家庭電話はテレビ電話にはなっていないわけで。そのかわりといってはなんだが、電話は軽量化をかさね携帯できるようになった。電話にかぎらずパソコンなんかも小型軽量化されていく。

 

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 だからこんな大きいパソコンをキッチンに置いたらジャマなのである。レシピが入っているのだろうか。それともオール電化ということなのかと思ったら、左上に今となっては懐かしいガス給湯器があるし。

 

 いまは蛇口をひねれば、かんたんにお湯が出るようになっているが、僕が子どものころの時分は、ガス給湯器の種火をまずつけて、ダイヤルをひねって点火させてから、お湯を出すというひと手間があったのだった。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。