高校野球を観てしまうことの後ろめたさ

 ブログ上においては、あまりスポーツ観戦のことについて触れないようにしてきた。それというのも、スポーツ観戦していることじたいが、ヒトサマに公表するようなモノではないと考えているからだ。

  たかだかファン風情が、人目につくところで戦略を語って、上から目線で選手を論評するのを目にすると、こっちまで恥ずかしくなる。すなわちスポーツ観戦というのは、小市民のささやかな楽しみでしかないのだ。

 

 ただ高校野球というのは、ついつい観ていて熱くなる。あれほど不条理なものはないのだが。あのような炎天下の中、坊主頭にした高校生が野球しているのである。あれは腐った大人たちが主催する闘犬みたいなものなのだ。言ってしまえば。

 

 それに高校野球ファンを公言する一部のファンの物言いが気に食わない。「私立高校が全国から選手を集めてなにが悪い、レベルの高い試合が観られればいい」という。お前は自分の出身県の代表に地元出身の選手がいなくて応援できるのかと。

 

 だが彼らはできるのだとか。いわせてもらうが、プロ野球ではないのだ。そのようなものは、アマチュアスポーツの楽しみ方として間違っている。オリンピックに外国籍の選手が日本代表としてメダルをとったとして素直に喜べるかと。

 

 国も故郷も公という意味で同じだというのに。というわけで、こういう”目の肥えたファン”と、夏の甲子園の不条理を否定しているくせに、ついつい観てしまう自分に後ろめたさを感じるのだ。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。