昭和コラム
www.jorf.co.jp 山上路夫先生といえば、僕が応援している千葉ロッテマリーンズのオフィシャルソングを作詞された方なのだが、特集というから「あれ?亡くなられてどれぐらいだっけ?」と思ったらまだご存命であった。すいません。
前回書いた”ビバ・エメロン”のコマーシャルの前にやっていたのが、一連の”ふりむかないで”シリーズであった。”ふりむかないで”というのは、ハニー・ナイツが歌うコマーシャルソングの題名である。
むかしはふつうに使われていたコトバなのだけれども、そもそも”ビバ”ってどういう意味であろうか。調べてみたら、イタリア語で”バンザイ”という意味なのだとか。いまやビバというコトバもビバホームぐらいしか使われなくなってしまったが。
今年も訃報が多い。この歳にもなってくると、子どものころによく観ていたテレビ番組の登場人物の訃報も多く目にするようになる。先日お亡くなりになった左とん平さんもそのひとりだ。
写真ではわかりにくいけれども、この”トランジスタテープレコーダー”は当時(1961年)のコマーシャルの情報によると、一辺が約19cm。当時としてはコンパクトサイズであったのだろうが、かなりの大きさだ。いまあるカセットテープをみたらわかる。
そうなのだ。チェリッシュといえば男女2人組なのだが、もとは5人組のバンドであった。この2枚目のシングル「だからわたしは北国へ」をさいごにチェリッシュは5人から2人に変わっていく。
昭和50年というと43年前か。フィルム撮影の料理番組というのはめずらしい。いまの時代4Kなどいって、とにかくきれいにはっきり観えるのがいいというかんじになっているが、はたしてそれほど必要なことなのだろうか。
クイズ番組はいまでも多くやっている。ただむかしはたくさんあったのに、いまやほとんどなくなってしまったものが、クイズ番組というジャンルにある。こうなったせいで、テレビに夢みたいなものがなくなったといっても過言ではあるまい。
子どものころは当たり前のように観ていたけど、いまおもえばすごかったのだなあというもの。それが8時だよ全員集合である。なにがすごいのか。まずはこの動画を観てほしい。
いまどきのお子さんのゲーム機はどうなっているかわからないが、僕が子どものころに流行っていたファミリーコンピューターには、リセットボタンというものがあった。(冒頭写真の”←コレ”参照)
不二家と聞くと、根拠はないのだけれど、高級感を感じてしまう。実は値段は庶民的なのだけれども、洗練されたイメージがあるのだ。パッケージデザインからして、他とはちがう。
少年だったころ、どこかで聴いた曲で、歌の題名も歌い手の名前もわからないけれども、メロディーラインだけが印象に残っている歌というのがある。詳細は知る由もない。
古いヤツだとお思われるだろうが、どんなにカタチが変われども、いまはもう走っていなくとも、ずっと僕の心のなかの新幹線というのは0系だったりする。だって昭和に生まれたヒトだもの。
TBSに現存する最古の映像資料。それが昭和33年10月31日に放送された「サンヨーテレビ劇場」のドラマ「私は貝になりたい」である。そしてドラマ終了後に、生放送でコマーシャルが流れた。
なにでこの学校のことを知ったのだろう。ニュース番組の特集だったのだろうか。それともドキュメンタリー番組だったのだろうか。とにかくいえるのは、その当時は高校入学前であり、こんな学校に入ったらイヤだなあということだった。
北陸は大雪で大変らしい。除雪の作業にあたるヒトも、命を削って頑張っている。こういう雪のニュースをみていると、ほんとうに僕のような関東の民は恵まれているなと感じる。
前回で取り上げた、岩谷自動車のコマーシャルのハナシで思い出した。そういえば似たようなのがあったな昔にと。黒地に白い文字で、無機質なかんじの映像。でもあれはヒトの声すら無かった。
日本には全国ネットの放送局のほかに、地方ごとにローカル放送局というものが存在する。どちらも民放であるから、広告収入で経営が成り立っている。すなわちCMを流さなければならないのである。
定岡は鹿児島県の出身で、鹿児島実業高校からドラフト1位で読売巨人軍に指名され上京した。素質はあっても、そこは18歳の素朴な若者である。そんな彼が巨人に入団し出会ったのは・・・
僕より下の世代のヒトだと、このヒトは日本テレビでやっていた、とんねるずの生ダラの”負け犬サダ”のイメージかもしれない。現役のころは観たことないけど、プロ野球選手だったのは知っているみたいな。
手元に一枚のCDがある。タイトル名は「DIMGRAY/ISHIDATE TETSUO VOICE」という。名前のとおり歌ではなく、ただ石立鉄男の声だけが収録されている。その数なんと99トラックもあるんだ。
「どうだいお味は?」「まろやか~♪」 「もういっちょいくぅ~?」「うっす!」 子供のころに観た、夕方のテレビ東京のテレビアニメの再放送を思い出すよ。
前回の「木枯らしの二人」につづいて、今回も昭和50年1月のヒット曲のハナシ。この「冬の色」という歌は、百恵ちゃんの7枚目のシングルであり、はじめてオリコン1位になった歌なのさ。
’ 母親から聞くところによると、2歳ぐらいのころ、テレビジョンにこのヒトが登場するとかならず僕は画面に食いついていたらしいんだ。それが伊藤咲子さんだったそうなのだよ。
YouTubeを観ていたら、さいきんどこぞかのヒトが、むかしのあるお笑い番組の1コーナーの詰め合わせをアップしていたんだ。あまりの懐かしさに胸がいっぱいになってしまったよ。
それぐらい影響を受けまくった番組があるんだ。それがテレビ朝日で夜10時に月曜から金曜まで放送されていた「ニュースステーション」でね。中高生のころは、ほぼ毎日観ていたとおもう。
あなたには歌っているヒトも曲の名前も知らないけれども、この曲どこかで聴いたことある!という経験はないだろうか。その一瞬だけは曲に興味がわくのだが、そのうちまた忘却の彼方においやられてしまうんだ。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。けどやはりどうも年末年始が仕事だと気分が盛り上がらないのだよ。なのでせめて子どものころの正月を思い出して記事を書いてみようか。
今年の年末年始も仕事で、大みそかも正月も22時までだから、年越しの気分はどうやら味わうことは叶わないようだよ。介護施設にいて年末年始だというのに帰るところのないヒト、そういうヒトを世話しないといけないヒト。どっちも社会の落ちこぼれさ。
漫画タイガーマスクといえば、ジャイアント馬場やアントニオ猪木など実在のレスラーに混じって、架空の”虎の穴の覆面レスラー”が登場する。その中にはとんでもない荒唐無稽なのもいるわけさ。