昭和テレビ 懐メロと昭和の洋楽 昭和のテレビコマーシャル 昭和のテレビクロージング 昭和的フード・ドリンク 昭和に描かれた未来予想図
笑点。それは昭和41年にはじまった長寿番組であり、現在でも高い視聴率を記録しつづけている。
戦争はいけないとした上で、分析して意見を展開したというのに、ほっしゃんは僕をブロックした。こういう自分の意に沿わないだけの意見を問答無用で排除する態度こそ争いを生むというのに。平和主義者の顔をして、自分が標榜する正義こそが絶対というニンゲ…
ネットリテラシーとは、「インターネットの便利さと脅威、ルールを理解し、適確な情報を利用して、よりよい情報発信をすることができる能力」という意味である。”結局それってなんだ?”とも思われるであろうが。
今日(8月10日)より夏期の集中講義がはじまった。9時から17時すぎまで3日間で、前期の1時間半×15回分の講義を受けなくてはならない。場所はふだん通う通信教育部がある市ヶ谷ではなく、法学部のある水道橋だ。
川崎駅というところは、川崎市が音楽のまちといわれるだけあって、路上ライブがさかんな場所である。ジャンルも多様で、この日は津軽三味線を演奏するヒトがいた。
福祉系の仕事についていて、介護福祉士の資格を持っていたのだが、別の資格をとるのに大卒でなければいけないということで当初は入学した。そして仕事をしながらということで、通信教育部のある日本大学を選んだ。
今年もこの季節がやってきた。夏の甲子園である。僕の故郷である千葉県は、いい選手が県外に行ってしまったりして、なかなか優勝できずにいる。逆にいうといい選手を集めて優勝をめざす学校がないともいえる。
民営化になる前、国鉄であった時代というのは、駅員も態度が横柄でどことなくなんだかんだいっても、俺らがいないとおまえらの生活なんて成り立たねーんだからなというような傲慢さみたいなものがあった。
そのむかし。左卜全さんが歌った「老人と子供のポルカ」という歌があった。その3番の歌詞が「やめてけれ。やめてけれ。やめてけーれストスト。」 であった。要はストライキなんてやめてくれよというのである。
萩原健一 | NHK人物録 | NHKアーカイブス ショーケン(萩原健一)ははたし本当に亡くなったのであろうか。NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」を観ていてそう思われるのだった。
電車の乗り過ごしというのはよく聞く。逆に“乗り足らず”という経験、みなさんには、ないだろうか。つまり目的の駅より手前で降りてしまうということである。
いちいち関係者でもないのに、電話でクレームつける輩って、いったいなんのなのであろうか。あの高校生で160キロの速球を投げる、大船渡高校の佐々木朗希君のハナシであるのだが。
参議院選挙が終わって1週間になろうとしている。ふだん国政選挙は投票に行かないニンゲンなのだが、今回は思うところがあって行ってきた。まあ結局は予想どおりの結果で、投票した候補者は落選するわ、自分の理想とはほど遠かった。
モノクロームであるので、わかりにくいと思われるが、すべておなじ缶ビールの空き缶だ。僕が住んでいるアパートのゴミ置き場である。住人とはみな顔を合わせばあいさつし合う間柄ではあるのだが、誰が飲んだものなのかはわからない。
通勤で東海道線を利用している。辻堂から川崎まで。30分ちょっと電車に乗っているわけだが、けっこうな頻度で急停止に遭遇している。
日本は法治国家であり、資本主義社会である。それは裏を返すと、法に触れなければ、自由にお金を儲けていいということにもなる。しかし社会において、ひとりひとりに配られるだけのお金には限界がある。
JRはそのむかし、日本国有鉄道という名前であった。昭和62年に民営化されていまに至る。”国有”というだけあって、いまでは信じられないようなことが多々あった。
もちろんいわんとすることは理解できる。けれどもそれではたして、解決にむかうのだろうかと疑問にも思われるのだ。なぜかというと、ことの本質みたいなものを、無視しているようにみえるからだ。
いくらなんでも早い。ブログを引っ越したのはいいが、いかんせんここのところの状況が変わってしまい、更新が滞ってしまっている。本当はもっと哲学的な記事を、あっちで更新したかったのであるが。
kotobasm.blog.jp よろしければ相互フォローの方もよろしくお願いします。確認したらすぐにお返しします。またここに戻ることもあるでしょう。その日まで。 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
基本僕は政治というものに関心を持たないようにしています。選挙にも行きません。ただ”ニンゲン社会”について考えることは好きなので、そういう意味では”部外者アイ”で選挙というものを見ています。
市ヶ谷駅を出ますと、まだところどころに花を咲かせた桜の木が見られます。4月12日。まだ肌寒く感じます。(ちなみに左下の木の枠みたいなものは彼女の遺影を入れたフォトスタンドで、一緒に見ているという意味があります)
衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。
僕の家は両親が共働きということもあって、テレビを観ることじたいにほとんど制限がありませんでした。ドリフターズの番組というのは、当時PTAも、子どもが観るのにふさわしくないといっていたものですが、うちはふつうに観ていました。
先日、元横綱の双羽黒こと北尾光司さんがお亡くなりになりました。僕は昭和末期に相撲をよく観ていて、双羽黒はそのころに活躍していた力士なので、さみしいかぎりです。
職場にフィリピン出身のヒトがいるのですが、そのヒトに大学でなにを専攻しているのかを聞かれました。
おひさしぶりです。4月からまたガラリと環境が変わることになりまして、その準備に追われていました。大学も進級したはいいのですが、では新しい年度はどうするかというのもありまして、その準備にも追われていました。
なんて題名をつけたら怒られるか。ただ「AIがヒトの仕事を奪う」というコトバそのものは、サギ師臭がプンプン臭うのである。
www.nikkansports.com いま思うと、奥様の樹木希林さんの葬儀のとき。内田裕也さんの表情は神々しかった。もうあのときから、この結末は決まっていたのではないかとさえ思われる。あくまで結果論にすぎないのであるが。